ページ

2018年1月27日土曜日

アンカラヴィー「神秘の灯」第一章「光とは何か」


第一章 光とは何か?




知りなさい。アラビア語における「光(al-nūr)」という言葉は、太陽や月、大地や壁その他諸々の上を[はしる]火から溢れ出る様態を指す。このような様態が「神」であることは[本来]不可能である。これ(光)をアッラーに対して用いることは、字義の徒の比喩解釈によってしかありえない。しかしながら、真理を会得した者達にとっては、真の光とはアッラーそのものなのである。なぜなら、それ(光)は本体の諸名のうちの名の一つだからである。[むしろ]光をそれ(神そのもの)以外に用いるほうが転義的解釈に過ぎない。なぜならアッラー以外のものは、それ自体では影、純粋な闇だからだ。これは、存在物それ自体は純粋無であることに由来する。アッラーの使徒―祝福と平安あれ―曰く、「アッラーは被造物を暗闇の中に創り、そしてそこから光を彼らに振りまき給うた。」
 またベドウィンの民が彼に「何によってお前の主を知ったのか」と問うと、預言者は「私は様々なものをアッラーによって知った。」と答えた。この問答は、「何によってお前の主の本質を知ったのか?」と問うと、預言者は「私の主の光によって、私は様々なものを知った」と答えたという意味である。つまり、光とは現出の要因であり、それ(光)を仲介として目に見えるものを認識することができるのと同様に、真なる御方(アッラー)は存在物の表出の要因であり、彼の光と知によって森羅万象は認識され、目撃を与えられることによって、可能存在の本質は目撃される。では、かの御方はあらゆる輪郭よりも顕れたる御方であるにもかかわらず、如何にしてかの御方は[かの御方以外の]残りのモノや輪郭によって類推されるのであろうか。夜明けの光の前では灯りなど必要ない。かの御方は顕れの解明の完全さによって隠れてしまっているのだ。[この意味を]指し示すことは名状しがたく、説明することは何とも難しいのだが。~続く~

0 件のコメント:

コメントを投稿